2017年07月11日(火)

「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない」創世記19:17


ソドムの町は、不道徳、争い、混乱、余りの罪深さのために滅ぼさ
れようとしていた。「彼らの罪はきわめて重い」と。神はその前に、
アブラハムの執り成しにより、ロトに二人の御使いを送り、家族を
連れ出すよう言った。一刻を争う、ギリギリの状況だ。そこでロト
は娘婿たちに伝えるが、彼らは、罪?滅び?など、冗談、戯れごと
だと思った。

彼らは普段のロトの生活や価値観を目の当たりにしていた。神と世
と二股かけて、世を愛し、享受している人物に、突然、神の裁き、
罪、滅び、と言われても、「何を冗談を」と。そして何とロト自身
すら、滅びが死が迫っているのに、逃げる事を「ためらった」のだ。
今まで手にしたものへの強い執着があり、財産、名誉、地位、世か
らの評判を失いたくなかったのかも知れない。

もう間に合わないと、御使いが、彼の手、彼の妻の手、二人の娘の
手をつかんで連れ出した。「命がけで逃げよ。後ろを振り返るな」
と言われたのに、ロトの妻は途中で、世への執着で、後ろ髪を引か
れ、後ろを振り返ったため塩の柱になってしまった。二人の娘は父
親と近親相姦を犯した。ソドムの罪の影響を娘たちも受けていた。

ロトは最初、ソドムの「近くに」住み、次にソドムの町に「入り込
み」、住人になり、地位を求め「町の名士」になった。世に少しづ
つ引き込まれて行った。結局、家族すらも救えない最後となった。
私たちにも「ためらい」があるだろうか。それはどこから来ている
か、御霊に探って頂こう。
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御心だけに従いたい思いと、この世で自分が頼りとしている物とが
混ざり合い、生き方は徐々に複雑になっている。後ろを振り向かず
逃げているだろうか。前にある神のあわれみだけを信じる真っ直ぐ
な生き方をしていたい。