2017年08月11日(金)

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」ピリピ4:6


あなたも思い煩うだろうか。明日の事、来週の事、果ては老後まで、
心配でたまらない。不安は、更に不安を呼び、大丈夫だと思おうと
しても、思えない。不安はどんどん膨らみ、次から次へと湧き上が
る。とどまるところを知らない。経験があるだろうか。

周囲から、神がおられるから、必要は備えられると励まされても、
どうにもだめなのだ。頭ではわかるのだが、恐れがどうにもならな
い。ほとんど恐怖となる。ある人は、人一倍心配症だった。事情が
あり無収入の状況に陥った。かつて経験した事のない事態だ。必ず
毎月、給料が入って来た。生まれて初めての状況だけに、もう不安
を通り越して恐怖だった。

しかし結果的に、祈りに答えられ、溢れるばかりの必要が与えられ
た。驚きだった。初めての経験だった。その後、何度も経済的苦境
を通ったが、その度に不安にもなりながら、しかし祈った。すると、
その度に必ず必要が満たされた。不安になるのも事実だが、その度
に祈った。祈りは答えられ、必ず満たされた。

それを何度も繰り返し、歳月を経た時に、当初のあの恐怖が、今で
は、「次はどのように与えて下さるか楽しみ」に変えられていた。
主は訓練し、弱い所を鍛え、強めて下さる。今、不安な状況なら、
主に頼る事を訓練し、鍛錬して下さっている。主への信頼を深める
取り扱いだ。主の御手に抱かれている事を覚え、不安をそのままま
ず祈りに持って行こう。その祈りが答えられる事を経験して行く。
----------
御言葉は恐れるなと言うが感情はついて行かない。だからこそ意思
を向けよう。心配も不安も委ねてよいと言われる主が傍にいる。そ
れを経験で知ることが大切だ。心配を抱えたままで祈ろう。