2017年11月10日(金) 「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」ヘブル12:11
「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」ヘブル12:11
ある人が、家族や親族の救いを願い、切に祈っていた。そして家で は、親族に福音を伝え、証しをしていた。救われて欲しい一心だっ た。しかし、熱心に伝えれば、伝えるほど、けむたがられ、避けら れ、親族からは拒否反応が出た。嫌な顔をされるのだが、意に介さ ず、ガンガン押しつけがましく話したのだった。 段々、家族は、彼女の信仰に心を閉じて行ってしまった。やがて、 家を出て、遠方で仕事に就いた。しかし、その仕事はどうしてもう まく行かず、挫折してしまった。対人関係でもうまく行かず苦しみ、 深い傷を負った。ぼろぼろになり、行き詰まり、仕事を辞め、一旦 家に戻った。 家族としばし生活したが、妹が「お姉さん変わった。今のお姉さん 嫌いじゃない」と言った。耳を傾けて、話を聞いてくれた。以前の 自分がいかに高慢であったかを思い知った。心の内では、自分は聖 い、他の人のような罪人ではないと思っていた。まさにパリサイ人 であった。辛い試練を通して、砕かれた。 試練は、決して嬉しいものではなく、痛い。しかし、主が苦しみを 通し、砕いて下さる事は、感謝以外の何ものでもない。苦しみが、 高慢を砕いてくれる。「苦しみに会ったことは、私にとって幸せで した」痛いが、祝福の道だ。幸せへと導いてくれる。「私たちの益 のため・・ご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめる」。 聖められ、成長が与えられて行く。 ------------- 主から来た痛さ、辛さだと受け止めて立つ時に試練の中に希望が見 えて来る。試練を通して自分では変えられない所、捨てられないも のをどのように主が取り扱ってくださるだろう。