2018年03月11日(日)

「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑される のです」ヤコブ1:14


罪には一瞬の快楽があり、甘い心地良さがある。だから、これほど
までに誘惑されるし、引き込まれてしまう。罪が苦いものなら、誰
も見向きもしないし、魅力も無い。罪と戯れることは、苦く嫌なも
のでなく、反対に楽しく、気分良く、快適なのだ。だからこんなに
も巧くサタンに引き込まれてしまう。

ちょっと戯れるつもりが、罪の奴隷になってしまう。飲酒、ギャン
ブルしかりだ。自分は大丈夫と思うところに油断があり、そこにつ
け込まれてしまう。警戒なく、気がゆるんでいるところを狙われ襲
われる。

ダビデは、部下が命がけの戦闘状態にあるという時に、夕刻に起き
出す怠惰な締まりのない生活をしていた。そこを狙われた。誘惑が
来た時に、主を仰がず、祈らず、バテシバとの姦淫の罪へと至って
しまう。ロトも伯父アブラハムと別れて、最初はソドムの「近く」
で天幕を張った。中ではない、近くなら、大丈夫と思った。自分さ
え、しっかりしてたら大丈夫だと。

ところがいつしかソドムの中に入り込み、その中でも影響力を持つ
名士になっていた。世と調子を合わせる、妥協した歩みに、娘婿た
ちは、突然この地が滅びると言われても冗談だと思った。世にどっ
ぷり浸かり、世の名誉、地位、富・・世の美味しいところを手にした
生き方は、周囲に何の霊的力も持たなかった。

私たちの欲望と合致した魅力的なものを持って、サタンは誘惑して
来る。欲望と一つになっているので、気づかない。祈っていよう。
祈りにより御霊に気づかせられる。

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誘惑されるのは、自分の欲のある所だと言われている。自らの弱さ
を知り、認めて行けるなら、そこを祈りに持って行ける。祈りで見
張っておれる。祈りがある時、守られる。折々に感じる自分の弱さ
を認め、また、気づきが与えられるよう祈っていよう。