2018年08月11日(土)

「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりして いるのは、知恵のないことなのです」Uコリント10:12


百合とバラが優劣を競ったらどうだろう。百合が好きな人、バラが
好きな人、それぞれの好みがあり、人それぞれの好きずきで、花に
優劣は無い。好みだ。車とバイクと自転車ならどうだろう。それぞ
れの特性があり、用途が違い、役割が違う。それぞれ独自の利点が
ある。優劣は無い。比較の対象にならない。

又、一流レストランと大衆食堂はどうだろう。それぞれの特性、利
点、良さがあり、比較にならない。一流レストランは素晴らしいが、
下町の食堂には、味わいがある。それぞれの持ち味が異なる。まし
てや神によって創られた私たち一人一人はどうだろう。一人一人が
ユニーク、唯一で、それぞれが全く違う。同じものは二つとなく、
代わりがきかない。かけがえがない。隣人と自分は全く異なる。異
なるので比較が出来ない。比較にならない。

それなのに比較によって、劣等感へと落ち込み、優越感へと高ぶり、
アップダウンを繰り返す。無益で的はずれだ。自分を量る手段が無
いので、どうしても目に見える人との差異で量る事になる。しかし
主は愚かで、知恵の無い事だと。

主が決められて、今の境遇と今の場に、私たち一人一人を置かれた。
主が決められたことだ。そこを認め、受け入れる時、世にはない御
霊の平安が臨む。そして満足できる。喜びと感謝が生まれる。そし
てその時、平安に、与えられた賜物を十分に用いて行ける。

・・・・・・・・・・・・
この世では、自分を量るのに横を見て、人との差異でしか量りよう
がない。そのため必ず比較に生きている。それしか生きようがない。
その価値観が根深い事に気づき、御霊に比較の度に気づかせて頂こ
う。信仰者は上を見ることができる。そこに救いがあり、解放があ
る。