2018年10月10日(水)

「ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたがに、まことの富を任せるでしょう」ルカ16:11



管理人が主人の財産を乱費していた事が発覚し、解雇を言い渡され、
会計報告を出せと言われた。彼は債務者を次々呼んで、減額にした。
そうすれば、解雇された時、彼らが何とか自分に有利に計らってく
れると踏んだのだ。主人はこの抜け目のなさをほめた。

そして主はこのように「不正の富」で自分のために友を作れと言わ
れた。ここで「不正の富」というのは、悪事で得た富の事ではなく、
「この世の富」という意味だ。「不正」=「この世」の意味であり、
つまりは、この世の富を忠実に、主の御心通りに、喜ばれるように
使えという事だ。

この世にいる間に、この世の富を主に喜ばれるように用いる時、来
たるべき天で、まことの富を任されると。天に帰った時に御国の管
理者とされる。神から任された、この世の富を御霊に導かれて賢く
使えうようにと言われている。会計報告を出すのは、所有者でなく、
管理人だ。

所有者なら自分の物であるので、自由に使えばよいし、報告を出す
必要はない。しかし、管理人は主人に報告の義務がある。私たちも
この世の富は管理であって、所有ではない。主人に喜ばれるように、
主人に御心を問いながら使う責任がある。富は容易に偶像になる。
富に執着し、固執し、振り回されてしまう。

富の主人でなく、奴隷になってしまう。神と富に仕えるなと言われ
たのでなく、仕える事は出来ないと。二者択一だ。どちらかにしか
心は無いと。富の使い方を、まず主に問い祈って用いて行こう。
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手にしているものは、働いて受けた当然の報酬と思ってしまいがち
だが、すべては神が整え、与えてくださる一方的な恵みだ。感謝と
共に、管理を任されていることを今一度覚えたい。