2019年02月08日(金)

「キリストは、人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです」ピリピ2:8


         
アダムとエバが、エデンの園で罪のほうを選択した結果、罪を犯し
てしまった。罪はプライドの形をとり、以来、人はプライドで生き
ている。男性は自分の仕事や地位に高いプライドを持ち、母親は子
供に夢を託し、子供によって自分のプライドを満たそうとする。

様々な対人関係で、プライドとプライドが衝突し、争いや、妬み憎
しみが起こる。ある婦人はお節介な隣人にいら立っていた。余りに
立ち入って来るので、怒りが湧き、冷静にではなく、苛立ちに任せ
て言葉を発しそうになった。何とか守られ、御前に祈った。

心の内をことごとく告げて、祈っていた中で、主のへりくだりを見
せられた。相手ばかりを責めてしまうが、自らを省みる時、こちら
も愛の無い態度を示された。自らの非も気づかされ、心が変えられ
て、次に会った時に、日頃の助けを感謝できた。確かに助けて貰っ
ている事も事実だ。

すると相手の態度が変わり、相手も柔らかくなった。そうこうして
いると、悩みを相談して来られ驚いた。御霊に従う事の祝福を経験
した。プライドに生きると心休まる時が無い。パリサイ人は徹底し
てプライドに生きた人達だ。彼らの立派な行ないの動機は、愛でな
くプライドだった。

プライドでも立派な行ないが出来る。主はプライドとは無縁で、徹
底して愛に生きられた。様々な問題が起こる。その中でプライドが
砕かれ、へりくだらされる。今の問題にプライドが潜んでいるだろ
うか。ありのまま祈ろう。取り扱って下さる。
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プライドや虚栄から解放されたらどれほど真っ直ぐに事実が見える
だろう。人の良いところも、自分の罪もありのままが見える。主に
祈り主のへりくだりを学ぼう。