2019年04月10日(水)

「しかしイエスは言われた『ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います』」ルカ22:34


ペテロは、主が今から十字架にかかられるという時に、主を否定し
てしまった。主を知らないと裏切ってしまったのだ。しかしそれは、
サタンがふるいにかける事を、主が許されたゆえの事であった。そ
して、主はそのペテロの信仰がなくならないように、祈られていた。

試練のペテロの背後に主の祈りがあった。ペテロは以前に、他の者
たちが皆、主を捨てても、自分だけは大丈夫と言い切った。どこま
でも主について行くと。主はその心に潜むペテロの弱さをご存じで
あったが、ペテロは知らなかった。強く、自信に溢れていた。自分
の力に頼っていた。だがその自信は粉々に砕け散った。

「信仰がなくならないように」主は祈られたが、信仰が無くならな
いとは、罪を犯し失敗するが、悔い改めに導かれるという事だ。ペ
テロは悔い改めて罪が赦された。私たちも必ず失敗する。失敗しな
い人は一人もいない。しかし、常に主は執り成していて下さる。だ
から罪を認めて、悔い改める事ができる。そしてその罪は赦される。

ペテロは砕かれ練られ、主の器として整えられて行った。私たちも
今、試練の中にあるなら、砕き、練られ、整えられるためだ。もう
だめだと思う失敗すら赦して、尚も益とされる。そして自分の力で
なく、主に頼る者と造り変えられて行く。
------------------
主と共にいる時は大丈夫、絶対にできると思うが、主から離れると
ペテロのように現実が迫り恐れ退いてしまう。失敗の度に自らの無
力を知らされる。主に頼れる恵みを知っていこう。