2019年06月10日(月)

「「あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか」創世記3:11



蛇に誘惑され、エバは善悪を知る木の実を食べてしまった。それを
夫に与え、夫も食べた。罪を犯した結果、二人の目は開かれ、自分
たちが裸である事を知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり
合わせて、腰のおおいを作った。園には、アダムとエバの二人しか
いないのに、いちじくの葉という頼りないもので、お互いに隠し合
うようになる。

そして主の声を聞いた時に、主の御顔を避けて、木の間に身を隠し
た。神と何の妨げもない自由な喜びの交わりにあったのが、神を恐
れて、避けて隠れるようになった。神の前にも、互いの間でも、あ
りのままではおれなくなり、自分がどう見られるかを気にし、相手
の目を恐れて生きるようになった。

そして、神がアダムに「食べてはならいと命じておいた木から食べ
たのか」と問われた時に、「あなたが私のそばに置かれたこの女が、
くれたので、私は食べた」とエバに責任転嫁し、エバのせいにした。
それも「あなたが、置かれた」と暗に神のせいにもしている。神は
「食べたのか」とストレートに問い、悔い改めの機会を与えられた。
しかし悔い改める事なく、エバが悪いからこうなったと。

エバは蛇のせいにした。責任転嫁、自己正当化、あるがままでおれ
なくなり、自分を隠す、神からも隠れる、様々な罪の結果が生じて
来た。自分の内側にもある事を認めるなら幸いだ。「ごめんなさい」
と答えるなら、主は豊かに赦して下さる。失敗はするが、赦されて
赦されて生きて行く。繰り返しの赦しを通して、神の深い愛を知っ
て行く。
-------------
罪を犯すと謝るより先に隠そうとするアダムの性質をしっかりと受
け継いでいる。罪の赦しが与えられているのは、何と感謝なことだ
ろう。あわれみは尽きない。誤魔化さずありのままで神に向かおう。