2019年08月10日(土) 「・・この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻 とふたりの息子を連れて、モアブの野に行き、そこに滞在すること にした」ルツ1:1
「・・この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻 とふたりの息子を連れて、モアブの野に行き、そこに滞在すること にした」ルツ1:1
ベツレヘムが饑饉になった時、エリメレクとナオミ夫婦は、糧を求 めて異教の地モアブへ移住した。偶像のはびこる地であった。主の 約束の地にとどまる事なく動いてしまった。飢饉は苦しいが、忍耐 していたなら、主は必ずまた豊作にして下ったであろう。家族の幸 せを求め、安心を求めて、偶像の地モアブに行ったはずが、そこで 夫は死に、二人の息子も死んでしまった。ナオミと二人の嫁が残さ れた。 故郷なら親戚や親しい人々もいたが、異国の偶像の地で、ナオミは どんなに辛い思いをし、大変な苦労をした事だろう。飢饉は苦しい が、もっと苦しむ事になる選択をしてしまった。私達もどうだろう。 試練は辛いが、そこから逃げて、一見非常に良く見える別の選択を しても、結果的に更に苦しみが増す事になる。 ナオミは約束の地にとどまるべきだった。私達も主からの試練を逃 げないで避けないで、受け入れる事が、実は一番の祝福だ。それは 私達の益のためのものだ。その時は痛く悲しいが、必ず平安な義の 実を結ぶ事になる。私達を聖くするため、成長のために訓練される。 やがてナオミは、約束の地に戻ろうと決心する。その時、嫁のルツ がナオミの神を信じ、自らの故郷を捨てて、ナオミにつき従う。苦 しい刈り取りをしたが、しかし、尚も主は恵み深く、憐れみは尽き ず、ルツという大きな慰めが与えられた。 私達も失敗しただろうか。その失敗にかかわらず、主は尚も恵み深 く、私たちにも、形は違うだろうが「ルツ」を与えて下さる。失敗 した時も、主のあわれみを求める事ができる。主のあわれみは尽き ず、万事益とされ、慰めがどんな時にも備えられている。 ・・・・・・・・・・・ 御心にとどまる事の大切さを学ぶ。苦しみに会い、より楽に見え、 良く見える場に逃げて、御心から出ると、更なる別の苦しみに会う 事になる。今、饑饉が来ているだろうか。必ず豊作にして下さる主 を信じ、動かずに忍耐して御心の場にとどまろう。