2020年02月09日(日)

「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい」Tヨハネ5:21



新約でも旧約でも、繰り返し〃「気をつけなさい」と言われている
のが、偶像崇拝だ。「気をつけなさい。あなたがたの心が迷い、横
道にそれて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように」「
あなたがたは十分に気をつけなさい。堕落して、自分たちのために、
どんな形の彫像をも造らないようにしなさい」。

イスラエルにとっても、私たちにとっても、よく気をつけ、十分警
戒すべき根本的な事が「偶像礼拝」だ。今、クリスチャンなら、木
や石や彫像を拝む人はまずいない。しかし、違う形の偶像が存在す
る。偶像とは、神以外のものを神とすることだ。「あなたには、わ
たしのほかに、ほかの神々があってはならない」「あなたは、自分
のために、偶像を造ってはならない」「それらを拝んではならない。
仕えてはならない」。

目に見えない無形の偶像としては、名誉、地位、富、人の賞賛、人
の評価、人の愛・・等々言われている。そして自分自身も偶像になっ
てしまう。自分の思いを通したい、自分の力でやりたい、自分で理
解できることしか受け入れない、どこまでも満足させたいのは、自
分自身だ。目には見えないので気づかないが、自分が神になってし
まっている。

自分の思いを遂げる時、偽りの自己満足があるが、御霊によるもの
ではない。御霊と逆方向へ向かってしまう。主に喜ばれる事は何か、
主のお心はどこにあるのか、いつもそこに目を向けている時に、間
違いに気づかせられる。主のお心求めて祈っていよう。

・・・・・・・・・
肉は根強く、どうしても自己満足、自己充足に走ってしまう。どこ
までも自分、自分と、自分が偶像だ。自分でなく、主が喜ばれる事
を求めること、主のお心を求めること、これ自体が奇跡で、みわざ
なのかも知れない。その人生に召されている事が、大きな喜びだ。