2020年03月11日(水)

「目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります」マタイ23:26



主は、パリサイ人に対して、非常に厳しい言葉を語られている。
「杯や大皿の外側はきよめるが、その内側は、強奪と邪悪とでいっ
ぱい」「忌まわしいものだ。パリサイ人・・」「偽善の律法学者、
パリサイ人」「外側は人に正しいように見えても、内側は偽善と不
法でいっぱい」・・と。主は、彼らが悔い改めることを望んでおら
れた。

主は内側を見られるので、幾ら外側をきよめても、何にもならない
。主が喜ばれるのは、内側の罪深さ、醜さ、憎しみ、妬み、高ぶり
、偽りを認めて、悔い改めることだ。だが、パリサイ人は外側だけ
を、行ないだけを問題にした。今の私たちは、パリサイ人を外側か
ら見ることができるが、しかし、自分自身もまた、容易にパリサイ
人になってしまう。

人からどう見られるかを、外見が非常に気になって仕方がない。嫌
われたくなく、良い人に見られたいので、無意識にも、良い人に振
る舞ってしまう。人目を気にして、繕ってしまうと、良い人でも何
でもない自分を、良い人だと思い違いしてしまう。そして、どんど
ん高慢になって行ってしまう。しかし、真実の自分は、妬みや憎し
み、裁き、赦せない思い、怒り、いら立ちでいっぱいだ。

それならパリサイ人と同じになってしまう。主は、絶えず自分自身
の本当の姿を教えようとして下さる。礼拝メッセージや、学びや、
デボーションの御言葉を通して、本当の自分を照らし出して下さる。
悔い改めを与え、赦しきよめるためだ。そして偽善に陥る事から守
って下さるためだ。
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内側の霊的な部分はどうだろう。主にあって潤っているだろうか。
主と同じように自分の内側に最大の関心を払おう。よく祈って、
主との交わりの中で闇に気づかせてもらおう。