2020年05月11日(月) 「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」ヘブル3:7
「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」ヘブル3:7
主は、乳と蜜の地に導くと約束して下さったのに、民は入る事が出 来なかった。不信仰のゆえだった。導き入れるとの、主の言葉を聞 きながら、信じる事なく心を頑なにした。「もし御声を聞くならば ・・心を頑なにしてはならない」の通り、御声を聞くなら受け入れ る必要がある。もし、語られた言葉をないがしろにしているなら、 心はそのままでなく、更に固くなって行く。ますます頑なになって 行ってしまう。 私たちはどう聞いているだろう。主が御言葉を語られた時も、聞く 人の心の態度は様々だった。素直に受け入れる人、単に好奇心だけ の人、反発する人、聞き流す人・・。又、石地のように、喜んで聞 くのだが、根ざそうとすると、岩である自我にぶつかる。すると自 分の肉の思いの方を通して行くだろうか。 そんな心が耕される必要がある。頑なな心が、すきやクワで耕され、 砕かれる時、素直にされる。砕きは祝福だ。御声を聞く時、主の言 葉を、その通りにそのまま受け止め、信じて行く事が信仰だ。この 世は、目に見えるもの、手でつかむ事のできるものを確かなものと する。私たちは、目に見えない御言葉を真実なもの、確かなものと する。 そして、その語られた御言葉を、行なって行く事が大切だ。実行し て行く時に、初めて御言葉が身につき、培われ、そして必ず豊かな 実を結ぶ。私たちはどうだろう。ただ聞き流しているだけだろうか。 それなら御言葉を捨てている事になってしまう。心して受け止め、 そして今、目の前に示された御言葉に一歩従おう。実行しよう。 その時、素晴らしいみわざを見て行く。 ------------ 本当に聞くだけで従えない者だ。目に見えるもの、聞こえてくる声 に思いは簡単に流れてしまう。真に価値のあるものに従いたい。語 られた御言葉を心に留めて従ってみよう。