2020年11月10日(火) 「みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます」ヤコブ1:23
「みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます」ヤコブ1:23
御言葉を聞いて、行なわないとは、朝に自分の顔を鏡で見て、汚れ ていても、そのままにして立ち去る人のようだ。朝、汚れを見たの だが、一日が始まると忙しく、全く忘れてしまう。生まれつきの顔 は、自分が持っているそのままの顔だ。鏡とは御言葉だ。御言葉は、 私たちの心をありのままに映し出す鏡だ。 鏡が無ければ、顔は見ることが出来ないように、御言葉が無ければ、 自分の心の姿はわからない。だが、御言葉の鏡を見て、自分の汚れ や、罪がわかったとしても、対処せずそのままならどうだろう。何 も起こらないし、何も変わらない。ずっと汚れたままだ。その時に 御言葉を実行するなら、初めて自分は変えられて行く。 悔い改めるなら罪はきれいに赦され、又、対人関係で和解が必要な ら、従うと、主の栄光が現われ、自分自身も平安にされ、変えられ て行く。ある人が、忙しい毎日に、デボーションから全く遠ざかっ ていた事を、礼拝の中で気づかされた。日々の忙しさに流されてし まっていた。示された事を即、実行した。 祈りの中で、溢れる様々な思いを、明け渡して行った。主との交わ りに、久し振りに心満たされ平安にされた。「私のたましいよ。お まえの全きいこいに戻れ」「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの 水のほとりに伴われます」。御言葉に示された、目の前のその事を、 実行できるよう祈ろう。実行する時に、生まれつきのままの姿でな く、御言葉の人格へと変えられて行く。 ------------ せっかく御言葉で示されても、立ち上がると日々の生活に関心が移 ってしまう。鏡を見るように、内なる人にも最大の関心をはらって いたい。素直に御言葉を実行しよう。