2020年12月07日(月) 「花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます」ヨハネ3:29
「花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます」ヨハネ3:29
ヨハネがバプテスマを授けていたが、主がバプテスマを授けるよう になると、ヨハネの弟子たちは、人々が皆、主の方に行くと報告し た。弟子たちは内心寂しく、面白くなかった。やっかみもあったろ う。それを聞いて、ヨハネは心がざわつく事もできた。しかし彼は そうではなかった。なぜなら、その事が主から来ていると受け止め 「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」と、主の御心 が成されている事を喜んだ。 なぜヨハネはこのような聖い、へりくだった態度が取れたのだろう。 まず「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と主が救い主であると告 白していた。そして自分はキリストではないと明言した。「私はキ リストではなく、その前に遣わされた者」だと。ヨハネは自分に与 えられた立場と使命をよく理解していた。 主が花婿で、自分は花婿の友人であり、人々に花婿を紹介し、伝え る事が自分に与えられた使命なのだと。花婿が重要なのであって、 自分ではないし、自分の影響力ではない。主が現われる事が重要な のだと。ヨハネは自分の使命に忠実に生き、満ち足りていた。私た ちも、突然、他の人が出て来て、自分を越えて能力を発揮し、周囲 の人々の賞賛を浴び、人気者になる時にどうだろう。 真価が試される時だ。順調な時でなく、衰える時こそが大きな試み の時だ。健康が衰え、病気になる時、物事が自分の思い通りになら ず、うまく行かない時・・そんな時に真の自分が出て来る。その時 こそ自我が砕かれて、内なる主が盛んになる。ますます主が盛んに なり、主の栄光が現されて行く。 ----------- 成果をあげている時期はいつかは過ぎていく。いつまでもそれを認 めなければ大切な今も失ってしまう。自分が頼りなくなった事も祝 福だ。一日一日、主と共に豊に歩んでいる事を知れる。