2021年01月11日(月)

「こうして、私は神の祭壇、私の最も喜びとする神のみもとに行き、立琴に合わせて、あなたをほめたたえましょう」詩篇43:4



あなたが、最も心の喜びとするものは何だろう?人は皆、自分の心
に幸せを与えてくれるもの、自分を満たしてくれるものを喜ぶ。満
足を与え、幸福感を与えてくれるものを求める。もし、富が自分を
幸せにしてくれて、夢を実現させてくれて、楽しませてくれ、一生
を保障してくれると思うなら、人生に富を求めるだろう。

又、人から認められる事、評価される事、ほめられる事が自分に満
足と喜びを与えてくれるなら、人の賞賛に的を合わせて生きる事に
なる。「何を喜びとするか」で、人はそこに、自分の時間も能力も
労力も注ぐことになる。そしてその思いの通りの人生が築き上げら
れる。無意識ながら、方向性を決めてしまう事になる。自分は何が
喜びなのだろう。

ある宣教師は、力を尽くして宣教活動をし、人が集まれば喜び、人
が来なければ、がっかりし落胆した。目に見える成果に喜び、それ
が無ければ失望する。しかしある時、これなら働きの成果を喜びと
しているのであって、主を喜びとしているのでは無い事に気づかさ
れた。主ご自身ではなく、主が下さるものを喜びとしている。

それなら自分の願いが叶わない時、必ず落胆するし不満になる。
成果でなく、主からの祝福でなく、主ご自身を喜びとして行くなら、
状況や結果に関係なく、変わる事のない喜びがある。主との関係の
中にいる事が喜びなら、何があろうと無かろうと揺るぐ事がない。
主以外の、別のものを拠り所としていないだろうか。
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心が簡単に幸せだと感じるものを見つめ、手に入ると神様感謝しま
すと満足するが、足らず、満たされず、手に入らない時に、主はご
自身を求める本当の幸いな生き方に導いてくださるのではないか。