2021年05月11日(火) 「イエスは答えて、彼らに言われた『あなたがたは行って、自分た ちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい』」マタ イ11:4
「イエスは答えて、彼らに言われた『あなたがたは行って、自分た ちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい』」マタ イ11:4
バプテスマのヨハネが、ヘロデ王の不法を真正面から断罪、そのた めに投獄された。ヨハネは正しい事をし、主は正義なる方、自らの 投獄は理不尽で、それこそ不法だ。何の罪も犯していない。神の御 前に誠実に歩んだのであり、主が、正しい対処をして下さるはずと 思ったに違いない。 しかし投獄されて、幾日が過ぎても、何の音沙汰もなく、何も起こ らない。イスラエルの王国を打ち建てられ、王となられるのではな いのか。牢獄の中でヨハネの思いは、どんなものであったろう。そ れで、弟子たちに「おいでになるはずの方は、あなたですか。それ とも、私たちは別の方を待つべきでしょうか」と問わせた。 主はその時に、弟子たちに答えとして、「自分の聞いたり見たりし ていることを報告せよ」と。目の前の「事実」を告げよと言われた。 「盲人が見、足なえが歩き〜」これは、救い主到来の時の預言だ。 つまりはヨハネが自分でわからない限り、わからない。人に幾ら説 得されたとしても、自分で受け入れようとしない限り、納得はでき ない、 自分で御言葉を真剣に受け止め、真摯に向き合い、事実を見ようと し、そして見た事実を認める時に、御霊の助けで真理がわかるよう にされる。私たちも自分の思いや偏見、先入観があれば、神が見え ず、神の事柄をつかめない。自分の偏見や先入観を除いて行く時、 正しく神が見えて、御心がはっきり見えて来る。目の前のこの事に 神を見、過去のあの事にも神が見える。 ・・・・・・・・・ ヨハネが、弟子たちから見たり聞いたりした事を、聞く時に、主が わかると言われた。私たちも主を見ようとし、聞こうとする時に必 ずご自身をわからせて下さる。求める者にご自身を現わして下さる。 ヨハネの問いに答えられた主に、私たちも問うて行こう。