2022年03月11日(金) 「主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打 ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、何と彼らはみな、死体と なっていた。アッシリヤ王セナケリブは立ち去り・・」 イザヤ37:36
「主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打 ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、何と彼らはみな、死体と なっていた。アッシリヤ王セナケリブは立ち去り・・」 イザヤ37:36
ヒゼキヤの時代に、アッシリヤ王セナケリブがユダの町々を攻め取 った。王はラブシャケを送り、大軍と屈強の軍隊を誇示した。ラブ シャケは、ヒゼキヤ王や人々に脅しをかける。ヒゼキヤは、主が救 い出すというが、そんな言葉にだまされるな、信じるなと挑んで来 て、信仰を揺るがして来る。 これを聞いたヒゼキヤ王は、どうしたのか。衣を裂き、荒布をまと い主の宮へ行き、祈りを献げ、イザヤにも祈りを要請した。自分で 何とかしようとしたのでなく、まず主のもとへ行き、祈りを献げ た。 同様に私たちにもサタンは、挑み、攻撃をしかけて来る。経済的苦 境や様々な悩み、信仰ゆえの戦いが来る。サタンは、圧倒的な勢力 を前に、私たちの無力をこれでもかと見せつける。強大な勢力に、 祈っても無駄だ、微力の祈りなど何になる。神を信じてもどうにも ならない、しょせん無力だ・・。 サタンは、神を信じて立たないように、目に見える所を見て、この 世と妥協して生きるよう誘惑する。そうすれば楽に、まさつ無く生 きれるし、世の成功も地位も手にできる。サタンの攻撃だ。この時 には、何よりも祈りが力ある対抗手段だ。 ヒゼキヤもイザヤも祈った。祈りは聞かれ、主は奇跡をなされ、主 の使いを遣わし戦わせた。その結果、強敵アッシリヤは立ち去っ た。 世に妥協させようとする、耳元に来るサタンの誘惑に気づけるよう に。祈りによって立ち向かおう。祈りに持って行こう。 ------------- 現実に起こる様々な問題を、サタンは主から切り離して考え込ませ ようとする。信仰から切り離し、問題に飲み込まれたらサタンの勝 利だ。主が共におられる。気づけるよう祈っていよう。