2022年04月10日(日)

「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じな い」ヨハネ4:48


王室の役人の息子が、重病で危篤状態だった。その役人は主を求め
て、カペナウムからカナに30キロの道のりを歩いて来た。主なら癒
す事ができると思ったからだ。そうでなければ、はなから30キロも
歩かない。主に、家に来て息子を癒して頂きたいと願うと「しるし
と不思議を見ないかぎり、決して信じない」と言われた。

再度、どうか来て欲しいと願う。すると「帰って行きなさい。あな
たの息子は直っている」と。息子の元に来る事を願ったが、御言葉
を信じて帰るようにとの示しだった。私たちもどうだろう。しるし
と不思議を見ての信仰だろうか。しるしを願っているかも知れない。
幾多の奇跡を見たなら、信じる事が出来て、信仰が強くなるのでは
ないかと。

目の前で紅海が分かれるような大奇跡を見たなら、信仰が強くなる
と思いがちだ。しかし主は、しるしを見てではなく、「主の言葉を
信じる信仰」へと導かれたい。役人は「帰って行きなさい」と言わ
れた。息子は直っているからと。主の言葉だけをもらい、その言葉
を受け取り、信じて帰った。すると途中でしもべに出会い、息子の
癒しを聞いた。

主の言葉の通りだ。そして、良くなった時刻を聞くと、主が「あな
たの息子は直っている」と言われた同時刻である事に驚いた。彼と
彼の家の者が皆、主を信じた。主の言葉は100%成就する。主は、
しるしを見ての信仰から、しるしを見ずとも、御言葉を信じる信仰
へと、成長させて行って下さる。

・・・・・・・・・・・
しるしと不思議ではなく、主の言葉を信じる信仰へと導いて下さる。
見えているものに、信仰は要らないが、見えないものには、信仰が
必要だ。主は信仰を培おうとして下さっている。いつもまず不信仰
を認める時に、御霊が助けて下さる。