2022年09月10日(土) 「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心 からしなさい」コロサイ3:23
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心 からしなさい」コロサイ3:23
「人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい」と あり、私たちの日々の行為はどうだろう。何をするにも、人にでは なく、主に対してするようにせよと言っている。私たちは何をしよ うと、主のためにしているとの意識が大切だ。毎日、同じ事の繰り 返しかも知れない。日々、同時刻に同じ電車に乗り、同じ机で、同 じ仕事を繰り返す。 主婦は同じ家事を繰り返す。掃除し、洗濯し、片づけ、食事を作る。 平凡で変化のない、退屈に感じる仕事かも知れない。しかし、毎日、 する事は同じでも「主のために」することができる。会社員は主の ために働き、主婦は主のために家事をし、母親は主のために手のか かる子どもの世話をする。上司や雇用者との関係も「主を恐れかし こみつつ、真心から従いなさい」とある。「あなたがたは主キリス トに仕えているのです」と。 すべての対人関係の土台は、主との関係だと言っている。ある主婦 は庭の草抜きにうんざりした。草はすぐに伸びるし、面倒でたまら ない。ある時、草刈りのために祈った。するとこの時間を、主との 交わりにしようとアイデアが来た。草を抜きつつ主と交わった。 あれやこれや心の思いを、出来事を主に告げて行った。腹の立つ事 や、恨みや、落胆する事態やら、ことごとく主に持って行った。す ると悔い改めを示されたり、ふっと御言葉が浮かんだり、あれはあ あして、これはこうしてと、解決や指針を与えられたりと、又、多 くの執り成しの祈りも与えられ、心満たされる恵みの時とされた。 終了時には、庭はすっかりきれいになり、心も晴れやかに喜びで満 たされていた。 ・・・・・・・・・・・ 「主に対してするように」が抜けると、労働は退屈で、重く、倦み 疲れてしまう。同じ事の繰り返しは、ため息が出る。しかし主に向 いて行く時、心が変わる。同じ事をしていても、平安と喜びがある。 そして自分でなく、主がされるとの信仰が来る。