2022年12月11日(日) 「また求めるものは何でも神からいだたくことができます。なぜな ら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているか らです」Tヨハネ3:22
「また求めるものは何でも神からいだたくことができます。なぜな ら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているか らです」Tヨハネ3:22
ある人が、祈りの要請を受けた。それは、2人の小さな子どもを持 ち、フルタイムで働いている女性からだった。特に仕事の忙しい時 期で、育児のために祈って欲しいと。すぐに引き受け、祈る事を約 束した。しかし自分も慌ただしく過ごしていて、祈りはするのだ が、 しっかりとは祈れていなかった。そんな中、時間が取れたので、主 との交わりの時を持った。 御言葉に向かっていた時に、「子どもたちよ」と語りかけられた。 「ことがや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛 そうではありませんか」が、心に響いて来た。彼女は、日々どんな に大変で、疲れているだろう。自分は具体的な助けを、何もしてい ない事に気づかされた。 食事を届けるとか、子どもを少し見て上げるとか、何か具体的な助 けをしたいとの思いを与えられた。何をしましょうかと、祈りに持 って行く事ができた。御霊の示しに心から感謝した。しかしこれら の導きも、よく祈れていないながらも、小さな祈りに主が答えて下 さった結果だとわかり、更に喜びが湧いた。 私たちはどうだろう。具体的助けを必要としている人が、周囲にい るだろうか。言葉と口先だけでなく、何か出来る事があればと、主 に祈ってみよう。そして示された事を実行するなら、神の御前に心 安らかにされると言っている。自分が従う時に、自分も祈りの答え を主から頂くことが出来ると。何という恵みだろう。 ・・・・・・・・・ 自分自身も、主の示しに従うから、主は、祈りに豊かに答えて下さ る。うすうす感じながら、向き合うのを避けている事、示されてい るのに、ぐずぐずと、なおざりにしている事、今一度、主に向き合 あおう。従えるよう祈ろう。らしい祝福が備えられている。