2023年02月08日(水)

「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民 イスラエル人をエジプトから連れ出せ」出エジプト3:10


モーセは長年、何も無い荒野で、羊飼いをしていたが、突然、主か
ら召しを受ける。「パロのもとに遣わす、民をエジプトから連れ出
せ」と。モーセは、この老年の私が?なぜ?と思ったろう。「私は
いったい何者なのでしょう」と。なぜ、民をエジプトから連れ出さ
なければならないのかと。

何で、一介の羊飼いが、とんでもない大それた事をしなければなら
ないのか。モーセはもう80歳だ。以前王子の時に、自分こそはと思
い、民を救出しようとしたが失敗した。そのため荒野に逃亡してい
た。この老人に今さら何を?今の自分には力も無く、地位も財も人
脈もない。

だが主は、尻込みするモーセに「わたしはあなたとともにいる。こ
れがあなたのためのしるしである」と約束され、説得して行かれ
る。「わたしがあなたと共にいる」これが「しるし」だと。「しる
し」とは、証拠であり、保証だ。これ以上の保証がどこにあろう。

これが現実であるとは、何と力強い事で、これ以上は無い。モーセ
は、民をエジプトから救い出す事、これが使命であり、このために
生まれて来た。主はモーセを荒野で砕かれ、練られ、整えられ、用
いられた。私たちも同様だ。

「わたしがあなたを遣わす」の通り、一人一人に主からの使命が与
えられている。モーセと同じく、私は、一体何者と思ってしまうが
「わたしが共にいる」との保証がある。主は私たちを整え、用い、
主が成し遂げて下さる。用いていだだこう。
------------
主の恵みによって選ばれ今日も支えられている。自分を見るなら尻
込みするばかりだ。でも確かに主が共にいてくださる証しを心に持
っている。主に用いていただこう。