2023年03月11日(土) 「パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ 人の国の道には導かれなかった」出エジプト13:17
「パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ 人の国の道には導かれなかった」出エジプト13:17
モーセ主導のもと、民は出エジプトを果たした。主が、民をエジプ トから出された。その時に、約束の地を目指すのに、非常に近道で あるペリシテ人の国は通らせず「荒野の道」へ導かれた。「戦いを 見て、心変わりエジプトに引き返さないように」と。主の配慮であ った。積年の奴隷生活で、戦闘の訓練も経験も皆無の民が、戦いな ど恐怖で怯え、引き返してしまうだろう。 私たちの価値観に、楽な道、近道、平らな道を好み、早く到達する 事が善との思いがないだろうか。苦しみ、困難は避けたい。しかし 主は、民を近道ではなく、あえて荒野の非常に困難な道を通された。 主が苦しい道を通されるのだ。主に不可能は一つもない。今すぐに、 願っているものを与えて下されば良いのにと思う。 しかし延々と時間がかかり、まさに遠回りさせられていると感じる 状況がある。自分の思いとは全く違う道だ。だが、その困難な道を 通ってこそ、練られ、訓練され、忍耐や信仰が培われる。主の深い 愛や慈しみ、真実を身をもって経験する。自分自身を明け渡し、委 ねる事を学ばせられる。きよめられて行く。そこを通らずしては、 あり得ない。 そしてその通り道には、雲の柱火の柱が伴い、進べき道が明確に示 される。荒野での灼熱の太陽から雲の柱で守られ、夜の暗闇を火の 柱が照らし続けた。その導きは、道中決して「民の前から離れなか った」。今、荒野にいるなら、主を信じ、主に従おう。雲の柱、火 の柱で、片時も離れず共にいて、導いて下さる。そして祝福へと導 かれる。 ・・・・・・・・・・・・ 頭では、試練こそが祝福で、成長せてくれるとよくわかるのだが、 その渦中は苦しくてたまらない。そのありのままを主に告げよう。 主に吐き出して行くと、不思議に心が落ち着いて来る。共におら れる事を経験して行く。