2023年09月10日(日)

「イエスは言われた。『人にはできないことが、神にはできるので す。』」ルカ 18:27


ある人に、打ちひしがれるような試練が臨んだ。その試練は辛くて
苦しくてたまらなかった。そんな中、教会で御言葉を学んでいた時
に自分が握りしめているものに気づかされた。それを主に委ねるよ
うにと、示されているとわかった。しかしどうしても委ねられない
のだ。委ねようとはするのだが、委ねられない。自分が固く握って
いる。どうしても放せない。なぜ放せないのか。

自分が手放すと、すべてが崩壊してしまうように、だめになってし
まうように思うからだ。だから、ますます強く握りしめる。主に任
せるのでなく、自分がしようとしている。任せられないのは、主を
信じることができないからだと、心を照らされた。握り締めている
ものは、自分にとって、いのちとなっているものだ。

しかし現実は苦しくてたまらない。委ねられないからずっと苦しい。
委ねようとするのだが、しっかりと握り締めている。もうどうにも
ならず、委ねられないこと、どうしても出来ないこと、握って放せ
ないこと、しかし苦しくて助けて欲しいこと、そんな事を何もかも
吐き出して祈った。

心底ギブアップ状態になった時、不思議だが委ねることができた。
御霊の助けであり、祈りの答えだった。その時、その問題に解決が
来て、平安にされた。私たちも委ねようとするが、委ねられない時、
主のもとに行き、祈ろう。人にできない事が主にはできる。ありの
ままを主に祈ろう。助けを求めよう。主が働かれる。

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自分には、どうしても出来ないから、祈りが備えられている。祈り
に持って行ける。そしてその祈りは答えられる。しかし自分には出
来ないと知り、認めなければ、主にすがる事もできない。出来ない
という弱さは実は、大きな祝福だ。