2023年11月10日(金)

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者 を救われる。」詩篇34:18



謙遜とは、本当は自分には力があると思っているが、それを人に見
せびらかさない、という事ではない。世の中ではそうかもしれない
が、そうでなく、本心から自分の無力を認めている事だ。パリサイ
人と取税人の祈りの箇所で、取税人は真に自分の罪深さがわかって
いた。それでパリサイ人のように、人と比べる事など思いも及ばな
い。

人の事など目にも入らず、ただただ、自分と主との関係だけがすべ
てで、自分の罪が見えるだけだった。主に赦しを求め、そして彼は
赦された。モーセは40才の時に、自力で、同胞を救うために立ち上
がった。だが失敗し荒野に逃れ、羊飼いとして40年を過ごした。そ
の後、主に召し出された。40年前と違い、老人で、かつての栄光も
地位も財も人脈も何も無かった。

真に自らの無力を知ったモーセは「私は何者なのでしょう」と尻込
みする中、主の説得で押し出された。一番弟子のペテロは、いつも
前面に出て、出しゃばる自信家だった。だが目の前で大漁の奇跡を
見た時「私から離れて下さい。私は罪深い者」とへりくだった。そ
して主を三度否んだ後、大泣きして悔い改め、自らの徹底無力を思
い知った。

自分の無力を知る人こそが、大いに祝福された幸いな者だ。自分を
誇らず、自分に頼らず、頼れず、主に拠りすがって行くからだ。砕
かれて、無力を知って行く歩みこそが、大きな祝福だ。
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主による救いを受けていても、すぐに自分を頼りにし喜んだり悲し
んだりする。自分の無力を知るというのは何と平和なことだろう。
罪を悔い改めれば赦しを受け、御言葉に励まされ主と共に歩める。