2023年12月10日(日)

『その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっ ていた。そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた」 ヨハネ5:3


ベテスダの池で、38年もの間、病気で伏せっている男性がいた。
主は、彼に「よくなりたいか」と聞かれた。38年の長い間、病気
だった人に、「よくなりたいか」は不思議に思える。当然、よくな
りたいに決まっているのではと。しかし、ある日突然、健康体に
なるなら、働いて、社会生活を営んで行く事になる。

仕事を探し、住まいを探し、突然多くの責任が生じて来る。大き
な喜びである反面、非常に厳しい現実になるかも知れない。私た
ちも、どうだろう。日常で変化を好まない面があるだろうか。現状
に甘んじていれば楽なのだ。変化には大変なエネルギーが要る。
霊的状況に関してどうだろう。

主は「よくなりたいか」と問うて下さる。自分の弱さを直視したく
なくて、惨めさを認めたくなくて、突き詰めるのが恐い。非常に痛
みを伴う事だ。肝心な所はあいまいにしていたい。はっきりさせる
なら、従って行く決心をするなら、払うべき犠牲にうすうす気づい
ている。

その犠牲は困るだろうか。そこで、ふたをしておく事になる。主に
従っては行きたいが、そこまでは、と思う。だがそれなら主の事
も、もやがかかったままになる。生涯、どっちつかずになってしま
う。もっと生き生きした、満ち溢れた喜びの生活に進みたくないだ
ろうか。「よくなりたいか」と主は常に問いかけて下さっている。
強制ではなく、そうしたいかと問われている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「よくなりたいか」と問うて下さる。主は、私たちの内側の罪も、
闇も、又、病気も、すべてご存じだ。本当に良くなりたいだろう
か。あいまいな中に、うやむやな中に、いたいだろうか。自らの内
側を照らされて、主に応答し、よくしていただこう。