2024年04月10日(水)

「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている・・ ほおっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたの だから。」Uサムエル16;11



シムイという男が、ダビデに石を投げ、「血まみれの男、よこしま
な者」と呪いの言葉を投げつけた。ダビデがバテシバの夫であるウ
リヤを殺害した罪をののしった。部下が、「あの者の首をはねさせ
て下さい」と申し出たが、ダビデは「放っておけ、呪わせておけ、
主が命じられたのだから」と、主がされている事だと、部下に報復
を許さなかった。

ダビデは主を見上げ、信仰に立ち、主から来たものと受け取った。
主からの懲らしめ、訓練と受け止め、受け入れた。「私の身から出
た私の子さえ、私の命を狙っている」、シムイどころでなく、実子
アブシャロムすら自分に敵対して、歯向かっている。それゆえシム
イの呪いも、主から出たものと受け入れた。何とへりくだった心と
態度だろう。

「今日の呪いに代えて、幸せを報いて下さる」。状況に飲み込まれ
るのでなく、状況に主を認め、主を信頼している。どんな悲惨な中
も、状況を変えようともがくのでなく、主の前に正しい心でいるな
ら、呪いをも主が良い事のために計り、幸せを与えて下さる。
ヨセフの「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを良い
ことのための計らい」とされたとの通りだ。

相手は悪意であるが、その悪意すらもあなたのために益とし祝福と
変えて下さる。状況に反応するのでなく、主を通して状況を見る
時、必ず主により導かれて行く。主のお心に従う時、どんな苦しく
辛い状況でも、心を主の平安で守って下さる。
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ダビデから学びたい。罪を悔い改め、主に赦された平安は人に非難
されても揺るがない。大きな罪であっても、王であっても、いつも
見ているのは主の前にいる自分だ。謙遜にさせられる。