2024年08月10日(土) 「・・父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがた にすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべ てのことを思い起こさせてくださいます」ヨハネ14:24
「・・父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがた にすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべ てのことを思い起こさせてくださいます」ヨハネ14:24
ある人が、技術を更に伸ばしたいと、習い事に通っていた。だがそ こに非常に苦手な相手がいた。ずけずけと、トゲのある物言いをし、 傷ついてしまう。状況的に、言葉を交わさねばならず、避ける事も できず苦痛だった。しかし自分はクリスチャン、相手の失礼な態度 にも礼儀正しく接っしていた。 何とか良好な関係をと祈り、努力するのだが、毎回傷ついてしまう。 心が重苦しく、辛くて祈る日々だった。習い事を辞めればよいのだ が、講師が、その道で名の通った技術ある人物のため、どうしても 習いたかった。そんな状態で続けていた時に、急遽の事態が生じた。 親の介護、子どもの事、家庭に様々な事情が起きて、とりあえず一 旦、辞めることになった。 それはそれで、もう顔を合わす事も無くなり、気が楽になったはずな のに、何か心が晴れなかった。相手が人一倍きつい人で、人を傷つ ける物言いをし、自分は被害を受けていると、ずっと思っていた。しか し祈りの中で気づかされた。実は自分の方が、相手に心を閉ざし、 受け入れていなかった。 相手を嫌い、さばいていたのだと。被害者としか見えず、自分の内側 など考える事も無かった。自分の側の事として、主に悔い改めた。そ の時、重くもやもやしていた心が、雲が晴れ、すっきりし平安になった。 この平安は、何ものにも代えられないものだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 救われたクリスチャンは聖霊が内におられる。そのため、この世的 には、外側、問題が無くとも、心に平安が無いことを、時に経験する。 平安が無い時は、何かが御心と違っている。祈りにより、御霊が心 を探り、気づきを与え、そして主からの平安へと導いて下さる。