2025年01月11日(土)

「このように、サウルは主に逆らったみずからの不信の罪の ために死んだ。主のことばを守らず、そのうえ、霊媒によっ て伺いを立て、主に尋ねなかった」T歴代10:13


サウル王は、ペリシテとの戦いの事で、不信の罪を犯したと
言われたが、それ以前にも、主に従っていなかった。アマレ
クとの戦いで「すべてのものを聖絶せよ」との命令にかかわ
らず、最良のものを惜しみ、どうでもよいものだけを聖絶した。
主の言葉を捨てたので、主もサウルを王位から退けられた。

サウルは罪により、主との関係が絶たれてしまった。
彼は「罪を犯しました、しかし、私の面目を立てて下さい」と。
罪を犯したと言うが、これは罪の悔い改めではなかった。自
分の体面を守るためであった。私たちも、罪とは、人前で面
目を失う事と思うだろうか。それなら人前で面目を保てば良
しとなる。

そうでなく、人は関係なく、罪とは、主と自分の関係のことだ。
サウルはペリシテとの戦いで、主に伺ったが、主からいっさ
い答えは無かった。それで霊媒に向かった。何よりも主との
関係が、第一で大切だ。その関係修復がなされておらず、悔
い改めが無いのに、伺いを立てても答えが無いのは当然だ。
主との間が損なわれているのに、自分本位に願ってもどうに
もならない。

「主に尋ねなかった」と言われ、尋ねた事にならないと。主と
の関係はどうだろう。ダビデは姦淫の上に、殺人の罪を犯
したが、真実に御前に悔い改め、完全に赦された。しかし、サ
ウルに悔い改めは無かった。主の赦しは豊かで完璧だ。関係
はいつでも回復される。今、主との関係はどうだろう。主のも
とに行こう。

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「神へのいけにえは、砕かれた悔いた心」主はそれをさげす
まれない。十字架の血潮により、赦して赦して赦して下さる。
赦しを受け取る度に、更に主の愛を知って行く。へりくだらさ
れて行く。主のもとに行こう。