2025年05月11日(日)

「エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚 の民に。家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ」エレミ ヤ29:5


エレミヤの時代、イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ、捕虜として連
行された。そしてアッシリヤは、バビロンに滅ぼされた。バビロンは
侵攻し、国々を滅ぼし、とうとうユダもバビロンに捕囚となった。当時
のユダは神から離れ、偶像礼拝に走り、堕落していた。預言者たち
は人に取り入るため、耳ざわりの良い、心地良い言葉を語り、平安
が無いのに「平安、平安」と言った。

しかしエレミヤは、真っすぐに神の言葉を語った。それは人々には
痛い言葉であったので、エレミヤは人々から苦しめられた。バビロ
ン捕囚のさ中、状況は真っ暗な中で、エレミヤは、一見「災い」とし
か見えないが、しかし「平安と将来と希望」のためのものだと。すぐ
に解放にならないので、その地で腰をすえて地道に生活せよと告げた。

そして敵である「その町の繁栄を求め、そのために主に祈れ」それ
は自分たちの繁栄になるからと。私たちも苦しい時、一番欲しい言
葉が「即、解決」「即、悩みから解放」だ。しかし口先だけの励ましは、
更に傷を深める。足かせである苦しみ受け入れる時、その中で主か
らの支え、励ましにより生きて行ける。

現実を受け入れられるよう祈ろう。いつまでも苦しみのままでなく、
「あなたがたを帰らせる」と。現状を受け止め、主に従って行こう。
そこに「平安」が約束されている。そして主の時に、苦しいかせから
解放して下さる。

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悩み、問題に遭遇するが、問題と自分から目を離し、主に焦点が
合うと、心が落ち着いてくる。そして祈りと御言葉により、問題に当
たって行く時、違う見方で見え、自分の見方が変えられる。問題に
向き合うようにして下さる。