2003年05月11日(日)

「もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない」(ハバクク2:3)

「待つこと」は誰にとっても難しい事だ。大変難しい。
待つことほど、困難な事はないかも知れない。神は
私達の側の心備えのために、待つ事を命じられる。
主が弟子達にエルサレムにとどまって、父の約束
を待てと言われた時、心の準備のためであった。
弟子達は心を一つにして、備えをした。待つ時間は
幸いな時間だ。御言葉を聞く時であり、神を深く思う
時だ。そして、私達が動くのでなく、神が働いて下さ
る時間なのだ。神は私達に待つことを命じられる。
人生の指示を与えて下さる時も、待ち望まねばな
らない時が往々にしてある。人生のみこころのため
に長期間待ち望んだある人は、振り返った時、その
期間は神に極めて近く歩め、又、その期間に実質的
技術も身につける事ができ、すべてにおいて益であり、
御旨を示された時、即、神の召しに応答できた。
神を待ち望むことは幸い。