2004年07月11日(日)

「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない」(詩篇66:18)

祈っても、幾ら祈っても、聞かれない経験があるだろうか。それは妨げがあるからだ。「罪」は祈りを遮断する。あれして下さい、これを下さいと要望ばかり掲げて、神があなたにせよと言っておられる、みこころを拒否したり、なおざりにしていたなら、祈りは聞かれない。あなたの中に不従順はないか。不義とは、罪とわかっていて、捨てようとしないものの事だ。弱さは罪ではない。しかし、罪とわかっていて捨てようとしないなら、それは弱さ以上の事で、故意にという事だ。捨てる事が出来ないと、まず正直に神に告白し、助けを乞う事ができる。あなたの心にしっかり握り締めて、心から愛している罪はないか。まず神に告げる事から始めよ。助けが来る。
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罪とわかっていて、示されていて、捨てようとしないなら、祈りが聞かれない。罪は祈りをさえぎってしまう。心をよく探ることは有益だ。祈っても祈っても聞かれない時、心が正直でなく、偽っていることがある。建前に本音が隠れている。