2004年09月08日(水)

「わたしがいつも、そのみこころにかなうことを行うからです」(ヨハネ8:29)

人々は多忙で、いつもイライラしている。時間に追われて、すべき事が多過ぎるのだ。心身ともに圧迫され押し潰されそうだ。過労で疲れ果てている。主はどうであられたのだろう。常に迫り来る群衆に教え、愛のわざをなし、癒し、悪霊を追い出された。どんなに心身共に消耗された事だろう。しかし、主は何もかもに手をつけ疲れ果てるような歩みをされたのではない。また、目の前の事柄すべてに手を出されたのでもない。朝毎に御父と交わり、その御旨を求め、常に父のみこころを行われた。あなたの多忙はどうか。御父のみこころか。自分で取り込んで忙殺されているか。疲れ果てているなら問題だ。神の御心と優先順位の再確認が必要だ。
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主は、目の前の事にすべて応じられたのではなく、みこころを行われた。時間も体力も精神力も許容量があり、絶対量がある。日々目前の事に忙殺されて、御父と交わる時間すら無いなら、みこころではない。生活をよく点検してみよう。