2005年04月10日(日) 「もし恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります」(ローマ11:6)
「もし恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります」(ローマ11:6)
職場で時間と労力を提供し、給料を得る。こ れは「報酬」だ。時間と労力を提供した報い だ。「恵み」とは、働かずに、時間や労力の 提供なしに給料を貰える事だ。つまり、ただ。 無代価だ。無条件のプレゼント。この世界で は考えられない神の世界だ。ゆえに神の愛 を貰おうと、何かをするならすでにそれは報 酬だ。神に受け入れて欲しくて何かをした途 端、恵みから落ちて、律法となる。報酬の概 念がしみ付いて、小さな頃から培われていて 恵みが、有り得ない事なので、単純なのにな かなかわからない。自らが罪人である事を認 めて、神のもとに来るだけだ。古い性質はど こまでも自分の力でやりたい、自分を誇りた いし、認められたい、評価されたい。これが 罪の性質だ。恵みは正反対だ。自分の力を 捨て、神に拠り頼むこと。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 生まれつきの価値観は、愛をもらうために、 認めてもらうために、受け入れてもらうために 何かをし頑張る。そうやって生きて来た。しか し、主の十字架のゆえに、今このままで完全に 受け入れられている。その愛に応えたいから献 げて行く。何という解放と安堵と喜びだろう。