2006年04月10日(月)

「彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので」(使徒16:6)


ある人が海外宣教の志があり、
祈っていると、親が倒れ介護
の必要が生じた。御霊の導き
は、海外宣教師になる事では
なく、親を看ながら教会で仕
える事だと確信した。
別の人は、社会人として教会
で仕える事を願っていたが、
宣教師となるよう導かれた。
ある方向へ進もうとするが、
門が閉ざされ阻止される。
神の思いは人の思いと異なる
事を、しばしば経験する。
しかし、ここでパウロはマケ
ドニア伝道へと導かれ、重要
な働きをする事になる。
ユダヤの片隅で起こった主の
教えが、海を渡りヨーロッパ
へ伝えられて行くのだ。
ローマにも伝えられた。それ
はつまずきでも、落胆でもな
く、遙かに重大な働きへの機
会だった。八方塞がりの中で、
実はその向こうに大きなビジ
ョンが横たわっている。
より大きな祝福へと導くため
に、違う門を閉じられるのだ。
あなたは今、門を閉じられて
いるか。あなたの思いを越え
た、別の、更に大きな祝福へ
の道が開かれているという事
だ。
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行くのも、留まるのも主の導き
のままにと、まずその状況を受
け入れよう。自分の思いを捨て
現状の中で主を賛美できた時、
開かれた祝福の門の先が見えて
くるかもしれない。