2006年05月10日(水) 「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」ヘブル12:11
「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」ヘブル12:11
前にも出て来た「鷲の訓練」を思い出 して欲しい。ひなを翼に乗せて高く上 がり、高い所から落とす。地面に落ち る寸前にまた翼に乗せて、高く上り、 また落とす。これを繰り返して、ひな が自力で飛べるよう訓練する。同様に、 私達の「信仰」を訓練される。私達が 問題にぶつかった時、み言葉を握って、 必死に叫び祈る。その過程で、もうだ めだと絶望的になり、落ちて行き、地 にたたきつけらる寸前に、神は翼にご 自分の乗せて上に引き上げられる。そ れを繰り返し繰り返しして下さる中で、 信仰を使う事を練習し、信仰の翼は鍛え られ強くなって行く。段々、大問題が 来ても大丈夫で、御言葉を握って、困 難の中でも大空へ舞い上がって行ける。 神が様々な厳しい訓練の中で信仰を強 めて下さっているのだ。知るべきは、 信仰が強くなるのは、苦しみや困難に よってだ。痛み、苦しみを通る度に、 信仰が強められる。痛くて辛いが、し かし、私達の一番の願いは、信仰の成 長ではないだろうか。悲しくて、痛く て、辛いが、望みを神に置いて信じ続 けていよう。 ・・・・・・・・ 信仰は実践だ。使ってみないとわからない。 目に見えないから不安で恐い。真っ暗な中 で信じて飛び込むと、愛の御手にしっかり 受け止められる。神が頭でなく膚でわかっ て行く。目に見えない神への信頼が少しづ つ増している事に気づく。