2006年08月11日(金)

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」ヨブ1:21





ヨブが子供達を失い、財産、家財
をすべて失った時の言葉だ。
「主は与えられる、主の御名はほ
むべきかな」とは誰しも言えるが、
「主は取られる、主の御名はほむ
べきかな」とはなかなか言えない。
神はいじわる、私から奪う、どこ
が愛なんだと言いそうだ。
ヨブはこれらがすべて主から出て
いると、はっきりと認めた。
それは神の絶対的主権を認める告
白だ。その上で、主の御名を崇め
たのだ。神を信じるとはこういう
事だ。舞台裏では、悪魔が神にヨ
ブを中傷した事が出て来る。
人は利得も無いのに神を信仰など
しない、利得があるからの信仰だ
と。しかし、ヨブの態度と言葉は、
その悪魔の中傷と神への訴えを無
力なものとしてしまった。
この世界には、利得からでなく、
神が神であられるゆえに信じて行
く信仰が存在するという事を、ヨ
ブは証明したのだ。神は愛なる良
い方で私達に最善しかなさらない。
どんな時にもそこに立とう。
私達の生涯が、神が神であられる
から、神を崇めて行くことを証し
して行けるとは、何と幸いなこと
だろう。
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順境にあっても試練の時でも、揺
らぐ事のない神様に信頼を置けま
すように。失望落胆しようとする
思いの中で、あえて状況の向こう
におられる神様を仰ぎ賛美しよう。