2006年11月08日(水) 「なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします」詩篇84:5
「なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします」詩篇84:5
悲しい事や苦しい事、理解に苦しむ事が 起こる。未信者にもクリスチャンにも同 じように起こる。しかし、違いは、神を 信じる人は、どんな悲惨な事、どんな悲 しい苦しい事の中にも神を認めて行く。 そのまっただ中に神がおられ、神の愛、 慈しみ、助けを実際に体験して行く。神 を信じない人は、どんな奇跡的な素晴ら しい事があっても、そこに神を決して認 める事は無い。そこの相違だ。信じる人 は何を見ても、どんな出来事が起きても、 そこに神を認め、神の愛を認める。どん な問題や悩みが来たとしても、神を信じ ているから、そこを泉の湧く所とし、そ の中に神を見、出会って行く。信仰とは そういう事だ。だから、もし、思い煩い、 焦り、恐れ、怒り、不満があるなら、神 以外のものを頼り、見ている事だ。そうで なく、その所こそ、泉の湧く所である事を 体験して行く者とされよう。 ・・・・・・・・・・・ どんな涙の谷も、理解不能の苦しみも そこが泉のわく所ー神を深く知る所にな るとは何と恵みだろう。起こる一つ一つの 出来事に、神を認めるか、認めないかだ。 今日も「行く所どこにおいても主を認 め」よう。新たに神に出会える。