2007年07月11日(水)

「そして、あなたがたは真理を知り真理はあなたがたを自由にします」ヨハネ8:32

この世のいう「自由」は、自由なの
でなく、放縦でありわがままであり、
自己中心だ。放蕩息子は自由を求め
て父親のもとを去った。自分の好き
放題をする事が自由だと、はき違え
たが、まさに放蕩であり、そこには
罪がある。人が不倫をする時に言う。
自分に正直に自由に生きるのだと。
責任の伴わない自由はあり得ない。
自由には責任が伴う。肉欲に誘惑さ
れて行き着く先は死だ。肉で生き、
肉を発散させる事は決して自由なの
ではなく実際は罪の奴隷だ。大事な
事は御言葉が真理であり、御言葉に
従うところから自由は来る。自由は
御言葉に基づく。嫌な相手がいて、
肉は憎んでいたい、憎む事が心地良
い。しかし新しい自分は異なる。憎
むなら平安が失せ苦しみは増すばか
りだ。悶々状態に陥る。真理に従っ
て、主に心を明け渡し、御霊の支配
に委ねて行く時、憎む方ではなく愛
する方を選び取る。実は愛する事が
自由なのだ。憎む時、心はがんじが
らめであり、愛する時、解き放たれ、
平安が満ちる。真理に従えば従うほ
ど私達は自由にされ、解き放たれて
行く。今、心が苦しく悶々状態なら、
御霊の導きに従おう。苦しみから解き
放たれる。
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何度も自由にされて来た。御霊に従い、
自分を明け渡す事によってだ。自我は
自分の欲に固執し放さない。しかし、
放す時解放され、主と一つである実感
が来て喜び溢れる。