2008年01月11日(金)

「ダビデの時代に、3年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた」Uサムエル21:1

ダビデ王の時代に3年間続く飢饉があ
った。だいたい苦しい事があると「助
けて」「この状況を何とかして欲し
い」と祈るが、ダビデはそうでなく、
なぜ飢饉があるのか、主は何を言おう
としておられるのかと、主のみこころ
を問うた。この事の原因を求めた。す
ると、主はサウル王の時代にギブオン
人達を殺した罪があると語られた。イ
スラエルはギブオン人と盟約を結んで
いたに関わらず、サウルは彼らを殺し
てしまったのだ。神は罪については必
ずその責任を問われる。それに対して、
ダビデは、ギブオン人達に「私は何を
しなければならないのか。何を償えば
よいのか」と誠意をもって対応した。
彼らは、サウルの子供達を引き渡すよ
う要求した。ダビデは彼らの要求に応
えて償いをした。すると、その後、神
はこの国の祈りに心を動かされた。罪
が祈りを妨げてしまう。ギブオン人に
きちんと償うよう、罪の対処をするよ
うに、主は飢饉を送られた。飢饉の御
心を求めたダビデは正しかった。もし、
飢饉から救い、助けて下さい、ならま
るで的はずれになってしまう。私達も、
身に起こる様々な出来事は、主から来
ている。主にはご目的があり、無駄は
一つとしてない。一つ一つの事を通し
て、何より主が教えようとしておられ
る事を、悟れるように祈ろう。
------------------
何故これほどまでの試練が来るのだろ
うと、神様に尋ねていく時なすべき事が
示されて行く。罪の刈り取りなのか、非
のない所の試練ならば成長のための訓
練だ。状況に追い詰められるのではな
く、それを良いものに変えていける。