2008年02月09日(土)

「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者がくちづけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。」箴言27:5

時に、真っ直ぐに語ることは大切であ
り御心だ。自分が言いたくない厳しい
事も、御霊が導かれるなら、はっきり
と相手に語る必要がある。相手には必
ず痛い、聞きたくない忠告や警告、助
言なので、相手に嫌われるかも知れな
いし、反発されるかも知れない。しか
し、御霊の促しがあれば、従うことが
必ず祝福となる。「築き上げるためで
あって、倒すためではない」、神がさ
れる事は、常に建て上げ、築き上げら
れる事だ。相手を築き上げるために、
神はあなたを用いられる。忠告するよ
うに促されたなら、まずよく祈って執
り成して、自分も同じ状況になればど
うかとよく考えてみるべきだ。単に罪
を責めるだけでなく、自分にも弱さが
あり、相手への同情と愛情が生まれる。
愛が無ければ、その忠告は無意味で虚
しい。やかましいどら、うるさいシン
バルになってしまう。相手の心に届か
ないし響かない。又、逆の場合もある。
私達が忠告を受ける場合だ。誰かが、
間違いを指摘し、忠告してくれる時、
それは、人からではなく、神からだ。
素直に、謙虚に耳を傾け、警告を受け
取ろう。自我、プライドには、痛烈な
打撃かも知れないが、へりくだる者を
神は高められる。力強い御手の下にへ
りくだろう。信仰者として成長の時だ。
・・・・・・・・・
痛い言葉こそ自分を成長させてくれる。
指摘がないと気づけない。気づきが無
いところに成長は無い。痛いがへりく
だって受け取ろう。大きな祝福の実を
刈り取る。