2008年07月10日(木)

「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」マタイ26:39

ある人が糖分制限を医師から言い
渡されていた。ケーキ店に近づいた
時、こんな祈りをした。「主よ、ケ
ーキを買う事が御心でしたら、駐車
場が空いていますように。御心でな
ければ空いていませんように」ケー
キ店に来ると駐車場が空いていた。
笑い話のようだが、これに近い事を
私達もしていないだろうか。自分の
プランをしっかり決めていて、主よ
、御心示したまえと祈る。しかし心
ではすでに定まっている。定まって
いるなら、無意識にそれに反する御
言葉は排除してしまう。わかってす
るなら、とがめも来るが、無意識に
するので自分でも気づかない。自分
に都合の良い御言葉を選んでしまう。
間違いに進まないためには、自分の
願望を一旦、主に渡す事だ。明け渡
すのだ。主のもとに置く時、それが
真に主からのものであれば、返って
来るし、そうで無ければ戻らない。
それならその方が良い。もし、主か
らのものであれば、揺るがない平安
と共に返って来る。そして、確信を
与えられて前進して行ける。私たち
の祈りは、「私は」「私は」だろう
か。発想を転換して「主は」私に何
を願っておられるのか、「主は」私
に何を求めておられるのか、じっく
りと祈りの中で聞いてみよう。それ
こそ御心にかなった主の喜ばれる祈
りだ。その祈りは必ず聞かれる。
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神様の御心を求めようとする時、あ
まりにも強い自分の思いがあると見
極めがつかなくなる。御心のように、
右でも左でも、の態度になれるよう
まず、その思いを神様に委ねよう。