2025年10月08日(水)

「それゆえ、アッシリヤの王について、主はこう仰せられる。 彼はこの町に侵入しない。また、ここに矢を放たず・・」イザヤ37:33




ヒゼキヤ王の時代に、アッシリヤ王セナケリブが、ユダの町々を攻
め取った。王はラブシャケを送り、ヒゼキヤ王と民を脅す。強力な
軍隊を誇示し、挑んで来る。「ヒゼキヤは、主が救い出すというが、
王の言う事にだまされるな、信じるな」と、信仰を動揺させて来る。

これを聞いたヒゼキヤは衣を裂き、荒布をまとって主の宮へ行き、
切に祈り、イザヤにも祈りを要請した。サタンは私たちにも同じよ
うに、攻撃を仕掛けて来る。経済的苦境に「そんな大金どこから降
って来るのか」「あり得ない。無理だ」「祈っても無駄だ」「神に
もどうにもできない」と、サタンは信仰を動揺させ、挑んで来る。

仕事の悩み、対人関係の問題に「解決など、どこにある」「悩みは
ずっと続く」「祈ってもだめだ」と私たちの無力を見せつけ、落ち
込ませる。幾ら祈っても何も変わらない、神を信じて何になると
、思い煩いと不安に飲み込まれる。

サタンは問題を見せて、そびえ立つ城壁に見せる。気力を萎えさせ
る。主を見せないよう、問題に目を釘付けにさせる。このような時
にこそ「祈り」が対抗手段だ。ヒゼキヤもイザヤも祈った。その時、
主は奇跡を行われ、主の使いを遣わし戦わせた。

その結果、アッシリヤは立ち去った。祈りは聞かれた。耳元にサタ
ンの攻撃、誘惑が来ているだろうか。気づけるように。祈りによっ
て立ち向かおう。助けを求めよう。主が共におられる。
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サタンの声を聞いている事に一刻も早く気づきたい。絶対に起きな
い明日を見せてくる。落ち込み平安がなくなる時、主に助けを求め
祈ろう。主を信じ切れるように祈ろう。