2009年07月11日(土)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」マタイ5:3



「幸い」に二つある。一つは外部から来るものだ。外部からの刺激が必要で、何
かの要因がなければ、幸せが感じられない。状況で左右され、周囲により自分が
アップダウンする。

自分にラッキーな事、ハピーな出来事があれば幸せを感じるが、そうでなければ
喜びは無い。又、それは人から認められる事や、人からの称賛に幸せを感じるの
で、人が自分をどう思っているか、人の目ばかりが気になる。

「自分を見ている他人の目」によって生きている。自分が生きていない。人の評
価次第で、どん底まで落ち込んでしまう。

もう一つは独立した、周囲に左右されない幸せだ。このような幸せがある。すべ
ては神から来ると信じているので、回りに関係無く、しっかり独立した自立した
歩みができる。

心の状態で表わすと、泉が湧き上がるように、内なる喜びがあり、それは外部に
影響されない喜びだ。内側からなので、状況に関係なく湧き上がる。御霊の喜び
だ。

又、神が与える幸せは、人がどう思おうと、人の評価がどうあろうと、自分自身
は十分幸せで満足なので、人に依存しない。人が関係ない。神にあって自立して
生きて行ける。

あなたはどちらの幸せを生きているだろう。心の貧しい者に、自分に何も無いと
認める者に、神は御霊の喜び、幸せを与えて下さる。心の貧しい者、へりくだっ
た者が、幸せを持つ。

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水は低い方にしか流れない。恵みは低い所へ、へりくだった所へ溢れ流れる。窮
地が、実は霊的豊かさへの入り口。行き詰まりのど真ん中で、自分に何も無いと
真に知る時が、解放の時で、神がすべてだと知る。安堵と喜びで心が満ちる。