2009年08月10日(月)

「心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばには、あなたがたのたましいを救うことができます」ヤコブ1:21



人は御言葉によって形造られて行く。御言葉は霊であり、いのちそのものだ。御言葉が私たちの心の奥深くに響き、入る時、私たちは新たにされる。御言葉に霊が宿っているからだ。

しかし、これには条件があり、自由な自発的な意志のもとでだ。
自由意志が必要だ。ロボットは言う通りの事をするが、そのものの意志は無い。自由意志がないのが、ロボットだ。

神は人格を持っておられ、私たちにも人格を与えて下さった。
その人格を尊重される。つまり、自由意志を尊重される。決して強いられる事はない。首に縄をつけて引かれる事はない。

どこまでも自由意志に任せられる。だから、御言葉を心に受け入れるかどうかの選択は、私たちの自由意志に委ねられている。
受け入れる事も拒否する事もできる。自由だ。

御言葉への関わりは、この二つしかない。あからさまに拒否はしないが、心には受け入れないだろうか。自分に都合の悪い、痛い御言葉は心に入れないか。密かに心を閉ざしてしまう。聞きたくない。

しかし、これは拒否と同じだ。自由な自発的な意志が必要だ。
自由意志で、心に自ら受け取る時、必ず私たちは新しくされる。変えられる。御言葉にはその力がある。

御言葉には問題無いが、私たちの聞く態度はどうだろう。聞きたくない、痛い言葉こそが、私たちを変えてくれる最も必要な言葉だ。
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痛い言葉、聞きたくない言葉をより分けているなら、いつまでも今のままだ。御言葉の力を信じ、素直に受け入れてみよう。私達の努力は要らない。神様に身をお委ねするだけだ。