2009年09月09日(水)

「門からはいる者は、その羊の牧者です・・羊はその声を聞き分けます」ヨハネ10:3



神は私たちを御心の道に導くために、絶えず御声をかけて下さっている。しかし、様々な声が混ざり合う。神の御声と共に、サタンの声、自分の肉から発する声、人の声・・様々な声が混線して、実際どれが神の御声なのか、わからなくなる事がある。

サタンは光の天使に偽装するので、神の声を真似る事ができる。
しかし、神の御声には、ある種の特徴がある。その声に聴く時、心に平安があり、静けさと落ち着きがあり、穏やかで且つ力強い。

愛から出ているものであり、赦しがあり、考えも無しに決して人を傷つけない。
断じて神の御声でないものは、がなり立て、責め立てるもの。
急かせ、焦らすもの。疑いや不信感を起こさせるもの。人を非難、中傷するもの、自分を惨めにし、暗くし落ち込ませるもの。恐れや湧き上がる怒り。

御霊は罪を示されるが、はっきりと一点を指摘され、悔い改めるよう導かれる。
サタンは漠然と非難し責め立てる。明確な一点がなく、何が悪いのかわからないが、何もかもが悪く、漠然としていて平安が無い。

御霊の指摘とサタンの攻撃を識別する事は大切だ。悪魔は「兄弟たちの告発者、日夜彼らを神の御前で訴えている者」であり、周囲への不満、裁き、怒りはサタンの常套手段である事をわきまえよう。乗ってはならない。
御霊に助けられ、神の声に聴き、肉とサタンを拒否しよう。
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心で聞いている声はどちらの声だろう。怒りや焦りや罪責感を煽って私達を落ち込ませ、力なくさせるのは決して御霊の声ではない。はっきり遮断しよう。今日もよく識別して歩めますように。