2010年01月10日(日)

「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」詩編37:5

 

小さな子が、口の狭いキャンディボックスに手を入れ、飴を握りしめ、手が出な
いと泣き叫んでいる。飴を放すと、手が出るよと言うが、絶対に嫌だと放さず、
泣くばかり。滑稽な光景だが、私たちの霊的生活に似ている。

心がザラつき、悶々と辛く苦しいだろうか。その時は、何かを握りしめている。
憎しみや妬みか、裁く心か、思い通りにしたい事柄か。憎しみや妬みや裁きは、
相手でなく、自分が苦しい。必ず平安が無い。喜びが無い。

飴を手放すなら、ボックスから手が出て、自由になる。憎しみや妬みを手放す時、
心は解放され、喜びと平安が戻る。しかし、強烈な自我は、放すのが嫌だ。苦し
いのに、憎んでいたいし、妬んでいたい。罪の性質だ。

「出来ません」「したく無い者です」と自分の姿を認める事から始まる。ある人
が子供の難病を、どうしても受け入れられないでいた。なぜ?どうして?自分の
子が?と涙は溢れ、グルグル思いは回り、苦しみ、つぶやき、神に対して反抗し
続けている自分がいた。

同年齢の子供を見れば涙が出た。悶々の自分の心は苦しくてたまらず、とうとう
限界に達し、ギブアップした。もう行き詰まり、煮詰まり、降伏せざるを得ない
状態だった。自分自身も子供も将来も、不安も恐れも何もかもを、明け渡した。

その時、状況は全く変わらないのに、心に初めて深い安堵と平安が臨んだ。委ね
られないで握っているなら、まずその事を主に告げて、ありのままの心を祈る事
から始めよう。

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放したくないものに気づいているだろうか。偶像となり、太陽の前に置く10円
玉になってしまう。太陽が見えないように、神が見えない。渡したくありません
と、神に助けを求めて祈ろう。神が助け導かれ、奇跡をされる。