2010年02月07日(日)

「だれでも、神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります」ヨハネ7:17

神の御声を聞いて従って行くのが、信仰生活であるが、神の御声が聞こえなくな
る事がある。強い自分の思いがあり、自分の思いで一杯な時は、神の御声を妨げ
てしまう。

又、神の御心がわかっても、神の計画よりも、自分の計画の方に重きを置いて、
心が一杯な時は、神の御声に従えない。私たちは、祈りの中で、自由に自分の気
持ちを、主に告げるべきだ。詩編記者は怒りも、悲しみも、苦しみも、嘆きも、
何もかもを、気持ちをぶつけている。

又、心の願いを神に祈れと言われている。願いは神のもとへ持って行くとよい。
それが神の御心と一致するなら、その願いは叶えられる。しかし、すべての願い
が叶うのではない。神はご自身のみ思いを持っておられ、それが私たちの願いと
一致するとは限らない。

その時は、痛いかも知れないが、自分の思いよりも遙かに高い神のみ思いがある
事を受け入れて行く時だ。主がゲッセマネの園で、「しかし、わたしの願いでは
なく、みこころのとおりにしてください」と祈られ、御父のみこころを受け入れ
て行かれたように。自分の思いを捨てて、神のみ思いに従うなら、大きな祝福に
あずかる。

一つ一つ示される御心に、自分の計画を捨てて従う時、その時、主ご自身を知っ
て行き、主との関係が深められて行く。

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自分の思いが強いと、自分に都合の良い御言葉しか見えない。無意識に都合の悪
い御言葉は通りすぎる。御心に従うことから妨げられてしまう。自分を明け渡し
て行く時、御心がわかり、そして、神ご自身と出会って行く。