2010年03月10日(水)

「しかし、私自身については、自分の弱さ以外には誇りません」Uコリント12:5



み言葉の言う弱さとは、自分の限界を知り、認めているということだ。この世の言う弱さは違う。この世界は比較の中におかれ、比較の中で生きている。人より仕事ができない、勉強ができない、運動ができない、テキパキ処理できない、対人関係がうまくできない、そんな弱さは悪という価値観だ。

どこまでも競争ゆえ、それなら「負け組」ということになる。そのようなこの世の価値観、古い価値観の影響を受けると、できない自分、だめな自分、人の持つ幸せを持たない自分、人より劣る自分は敗北者になり、自分で自分を受け入れることができず、認めることができない。

問題はここだ。自分が自分を受け入れず認めない。だから人も認めることができないし、又、自分の弱さを、人にも受け入れて貰えないと思ってしまう。それゆえ、人に弱さを隠す事になる。競争なので、弱さを見せると、負けになる。尊敬を失い、自分の価値が下がる、だから絶対に見せられない。

自分で自分を縛り、窮屈にし、がんじがらめにしている。しかし、御霊の世界は違う。神の力は弱さのうちに完全に現される。
神の愛や、力や、恵み、神の支えや、助け、それらを弱さの中で初めて体験する。身をもって知れる。自らの弱さを「認める」時に、御霊の自由の中に入れられ、解き放たれ、平安にされる。
------------------
自分の苦手な部分、弱い所を認めて祈る時、神様の取り扱いを経験をする。弱さの中で与えられる慰めや励ましは、神様からだと知れてなんと愛されている事かと喜びに満ちる。