2010年07月10日(土)

「主がナタンをダビデのところに遣わされたので、彼はダビデのところに来て言った」Uサムエル12:1

自分は一体へりくだっているのか、高慢なのか、それは一つの事で試せる。謙遜
な人の特徴は人の忠告に耳を傾け、痛い警告を聞く用意があるという事だ。これ
はへりくだっていないと決して出来ない。

高慢は、そのプライドゆえ、人の忠告を聞けないし、人の意見など全く聞く気が
ない。自分は常に正しく、それも一番正しいのだから。特に自分の弱さや、触れ
られたくない所など、絶対に人に触れさせない。

私達はどうだろう。弱さを隠し、有能な強い自分に見せていたいだろうか。真に
強い人とは、自らの弱さを認める事のできる人だ。失敗しない人でなく、失敗を
決して隠そうとせず、人の前にも素直に認める人だ。

ダビデの素晴らしさは、姦淫と殺人という大罪は犯したが、ナタンの忠告に耳を
傾ける謙遜さを持っていた事だ。そして自らの罪を明るみに出した。ここが信仰
の人ダビデたるゆえんだ。

自分は王であり、最高権力者であり、ナタンなどどうにでも出来る立場にあった。
首を跳ねる事もできた。しかし、ダビデはへりくだった。結果、その王の罪はす
べての人の目に明らかになった。ダビデは砕かれた。しかし、その罪は完全に赦
され、ダビデは失敗から学んだ。

悔い改め、御霊に教えられて行く人は、同じ失敗から守られる。この謙遜がなけ
れば、後のダビデは無く、あの詩篇も無かった。失敗したならやり直せばよい。

主がナタンをあなたに遣わされたなら、あなたのナタンに耳を傾けよう。それは
神からであり、あなたへの慈しみであり、愛だ。

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高慢とプライドは、決して人の言う事に、耳を傾ける事は出来ない。しかし、痛
い言葉や忠告は、神からだ。人を通して、神が私たちを砕き、修正される。へり
くだる時に初めて、主の大きな愛と慈しみが見えて来る。そして自分が変えられ
る。